エースのジョーが死んだ・・・

宍戸錠さんがお亡くなりになりました

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あぜ丸としてはもちろん現役のころを知っているわけではなく、「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」「ハレンチ学園」「くいしん坊!万才」などテレビ時代を知るにすぎませんでした

しかし敬愛する作家矢作俊彦さんの小説 映画などからその存在を知り、日活ものはDVDを購入したり、そのあとはかなり研究している俳優さんでした 確か昔のニューグランドですれ違ってご挨拶したことがあります

矢作俊彦さんの作品では

『舵をとり風上に向くもの』の中の短編「銀幕に敬礼」
また今となっては映画俳優と老バァテンダーが登場する表題作「舵をとり 風上に向く者」にもジョーさんの影が見えます

そしてもちろん
『ブロードウェイの戦車』のジョウ・ラミレス・モルテス 

また
『フィルムノワール』では宍戸錠その人で登場させています

それからもちろん
矢作さんの監督作品 『アゲイン』『神様のピンチヒッター』『ザ・ギャンブラー』への出演

矢作俊彦特番『酒場をめぐる冒険』から 1時間27分あたりから宍戸錠さんです



それから大好きな
『私立探偵 濱マイク』での活躍も・・・



やはり映画スターという言葉が似あい、エースのジョーでした
「コルトは俺のパスポート」ですよ 



矢作さんはtwitterでその悲しみを吐露していますが、1/31の朝日新聞に寄稿しています


朝日新聞朝刊より引用です


ジョーこそが文学、心撃ち抜かれた 宍戸錠さんを悼む 作家・矢作俊彦
2020/1/31 5:00


 エースのジョーと初めて会ったとき、私は九歳だった。半ズボンを履きランドセルを背負っていた。そこは横浜駅西口のアーケード商店街の外れに建つ日活映画館で、通学路からは遠かったが、その通学路で出会った他校の友人の父親が小屋主をしていた。
ここから続き
 彼は目を細め、私を指差(さ)して「ちっちっちっちっ」と舌打ちすると引き鉄を引いた。黒いコルトの45口径ACP弾はその瞬間、的確に私を撃ち抜いた。
 その夜のこと、彼は銀幕からはるばる我が家を訪ねてくると勉強部屋の窓を叩(たた)き、ここを開けて夜へ出ろと言った。「書を捨てよ銃を握れ!」
 以来、私は彼の背を追い夜を遊び歩いて長く過ごした。
 宍戸錠さんとは二十代の後半に知遇を得た。ふたりは姿形はもちろんのこと、人柄や死生観、いやその「職業」も含めて、驚くほどよく似ていた。乱暴に分かりやすくしてしまうなら、宍戸錠さんも(広くそう信じられているような)映画俳優である以前に殺し屋だった。そのふたつ、いや二人を自在に行き来していた。私のためにそうして愉(たの)しませてくれているのではないかと疑うこともあったが、まさかそれでは驕(おご)りが過ぎるというものだ。
 何の得にもならないのに、彼らはよく遊んでくれた。フィルムを回して拳銃を射(う)ち、酒を飲んで拳銃を射ち、車を飛ばして拳銃を射った。おかげでこの年になるまで私は遊び暮らした。実に楽しい人生だった。(世間で言う)仕事らしい仕事など一度もしたことはなかった。すべてジョーのおかげだ。
 もし私に文学などというものがあるなら、彼こそわたしの文学だった。彼自身が意図して殺し屋を文学にしてしまったのだから、当然と言えば当然だ。
 私はエースのジョーの前で六十年、九歳でありつづけた。魔法使いの弟子でありつづけた。稼業を継ぐ気はなかったが、一度ぐらいは早射ちを競い、撃鉄が0・01秒遅れ、彼のACP弾に倒れて死ぬのが夢だった。宍戸錠さんが亡くなられたとき、私はエースのジョーが半分、死んでしまったことを知った。しかも利き腕側の半分が。つまり、もう私の夢が叶(かな)うことはない。
 その宍戸錠さんにお別れを告げるのが本稿の目的だった。しかし、それをしようとするたび、見知らぬ大勢の聴衆の前で、九歳の私自身の骸(むくろ)に弔辞を読むような痛みと気恥ずかしさを強く覚える。文末に至ってなお、まともな社会人としてかくあるべき惜別の言葉を記せないのは、きっとそのせいなのだろう。(寄稿)



というわけで

また映画スターが一人この世を去りました


渋い男がまた一人


ちゃお

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